1980年代に大型コンピュータを使うのは大変だった

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慶應義塾大学環境情報学部学部長・教授の村井純氏の記事を読んでいる中で、「研究を始めたとき、コンピュータが大嫌いでした。当時のメインフレームコンピュタは計算機室の前で行列して、パンチカードを打ってプログラムを作り、計算させて、3日経ったらようやく結果がプリンターで出力されるというものです。コンピュタが偉すぎて不愉快な時代でした」という言葉がありました。

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UNIVACの大型汎用機

これを読んで確かにその通りだったと、当時のことを思い出してしまいました。学校にはUNIVACという会社の大型汎用機が電子計算機センターに設置されていました。その後、今のUNISYSになった会社です。

この大型汎用機を使いたい時には、TSS端末を利用するか、もしくは紙カードに穿孔してバッチ処理を申し込むかの二択になっていました。当時、電子計算機概論という授業があり、課題を達成しなければならず、科学技術計算が得意だと言われていたフォートランという言語でプログラムをコーディングしました。コーディングするまでは机上でどこでもできるのですが、これを紙カードに穿孔しなければいけません。

パンチ機(紙カード穿孔機)

紙カードに穿孔するためのパンチ機が設置されている部屋があります。ここを予約した時間に行ってひたすらキーボードを打ち続けます。

紙カードは80文字分の情報が打ち込めます。ちょうど、プログラムの一ステップにつき一枚の紙カードを消化するイメージです。1ksのプログラムであれば紙カードは1000枚になります。もしも打ち終わった紙カードの束を床に落としたら、きちんと並べ替えなければいけなくなりますので、扱いは非常に慎重になります。

コンパイル

打ち終わった紙カードは紙カードリーダーに読み込ませます。ダダダダダッとすごい勢いで読み込んでいくので、かなり迫力があります。読み込み終わったらコンパイルをします。ここで、たくさんのコンパイルエラーが出てきます。このコンパイルエラーの原因を突き止めて、紙カードを打ち直して、再度、紙カードリーダーに読み込ませコンパイルをするということを何回か続けてコンパイルエラーが無くなれば、ここで実行という形になります。

実行

実行するにもセンターを予約して、実行させてもらうようなイメージです。何日かしてできた頃に処理結果リストをもらいに行きます。ここで意図した通りの結果が出ていれば良いですし、意図と全く異なる内容になっていればプログラムのバグを疑うことになります。

何をやるにも時間がかかって本当に大変でした。今ではスマホでもできるようなことだったのではないかと思いますが、1980年代にはこんなことが行われていました。

しかし、この頃にはすでに日本電気から初代のPC9801が発売されていましたので、汎用機に頼らなくてもある程度のことができる時代は近づいていました。

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