廃線跡(武蔵野競技場線)

 三鷹と武蔵境の間、ちょうど三鷹電車区の北側からグリーンパークまで延びる鉄道の跡です。

 現在の武蔵野市役所の西側一帯に広がるグリーンパークやその東側の集合住宅があったところは、中島飛行機の軍需工場がありました。この中島飛行機の工場が無くなったあとに国鉄スワローズの本拠地グラウンドが作られて、中央線の三鷹駅から円弧を描くように鉄道路線がありました。現在は堀合遊歩道またはグリーンパーク遊歩道として廃線跡が整備されています。

 国鉄スワローズの公式試合があったときに中央線から直通して電車が走っていたそうです。

 完成は1951年、しかし公式試合があったのはその年の16試合のみで翌年には株式会社東京スタジアムの倒産とともに公式試合は開催されなくなってしまったようです。(参考サイト

 なんでこんなところに野球場を作ったのだろうと、しばらく疑問だったのですが、松前重義という人が誘致したそうです。この人は東海大学の創立者、そして総長だった人で、「無装荷ケーブル」という長距離電送には欠かせない技術を開発した技術者でもあるそうです。

 今でも三鷹駅の北口側の西久保に望星学塾という施設があります。

 このスタジアムを建設、運営したのは、武蔵野文化都市建設株式会社(後に株式会社東京グリーンパークと改名)です。この会社の社長を松前重義は引き受け、青少年育成のためのスポーツ施設建設と科学技術立国を目指す電気通信関係の研究所誘致に尽力したそうです。現在でもこのエリアには日本電信電話株式会社(NTT)の研究所があります。

 球場開きの日は昭和26年5月5日の子どもの日で、国鉄スワローズ対巨人、国鉄スワローズは金田正一が投げました。当時の新聞によると朝6時にポンポンと花火が打ち上げられて、2万5000人のファンが詰めかけたとあります。ただ、こちらの球場も都心から離れていることもあってプロ野球の公式試合には1シーズンしか使われなかったようで、その後、取り壊されてしまいました。

 現在は線路など鉄道に関するものは完全に撤去されてしまっていますが、往時をしのばせるような形で細長い公園として整備されています。

 この公園をずっと北上すると、最近、武蔵野市に出来た天然温泉「湯らく」にたどり着くこともできます。湯らくの裏側を通る形になりますので、ちょっと気がつきにくいかもしれません。(湯らくは東日本大震災の際に施設に被害を受けて休業し、そのまま再開されることなく閉店してしまいました)

【2013/08/15追記】

 廃線跡の境浄水場東側の部分については、道路(調布保谷線)の拡張工事に伴って、ずいぶん雰囲気が変わってしまいました。ただ、玉川上水の上にかかる橋には、昔、ここに線路があったことを示すような細工が施されていたりもします。天然温泉の「湯らく」は2011年の東日本大震災で建物に被害を受けて休業していましたが、その後、廃業してしまいました。

【2019/02/03追記】

今日、武蔵野ふるさと歴史館という施設に行ったのですが、そこに武蔵野競技場(グリーンパーク野球場)の写真が展示されていました。カメラ撮影可となっていたので、撮影してきました。

奥にある電電公社の通信研究所の手前に確かに球場の写真が写っているのが分かると思います。


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新・鉄道廃線跡を歩く2 南東北・関東編
2015年05月05日07時23分現在の価格と評価
価格:¥ 1,944
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著者:今尾 恵介
販売元:ジェイティビィパブリッシング
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