昭和30年代のテレビの普及とその舞台裏の出来事

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昔のテレビ

 ドラマ「官僚たちの夏」の第二話を見ていると、昭和30年代のテレビ黎明期の出来事がストーリーの中心になっていました。昭和31年の暮れになると、冷蔵庫は価格の低価格化とともに普及の兆しを見せていたものの、テレビについては値段が高止まりしてしまい、まだまだ普及するような状況ではなかったようです。

 テレビの放送開始は1948年の6月にNHKがテレビの公開実験を実施しました。そして1950年にテレビ実験局を開設、週に1日、定期的な実験電波の発射を始めました。この実験段階をへて1953年にテレビの本放送を開始です。この放送を開始したときには受信契約数はわずか866件しか無かったそうです。この辺のテレビ放送の本格化に向けての軌跡については、愛宕山にあるNHKの博物館の展示が判りやすかったです。そのときのレポートをこちら(愛宕山にあるNHKの放送博物館に行った)で紹介しています。

 テレビには当時は高い税率が設定されていたようで、これも売値が高くなってしまう一つの要因だったので、通産省では大蔵省に対して税率の低減化を求めていましたが相手にされず、また、乱立するテレビ開発業者を絞るような政策も実施したそうです。この中で、テレビの開発をやめるように行政指導を受けた大沢無線という会社が出てきます。大沢無線ではそれまでテレビを世の中に売り出すために投資を進めてきましたが、そのまま行政の言うことを聞いてしまってはそれまでの投資が無駄になってしまうため、反発をしていました。


 この大沢無線という会社はどこの会社だったのでしょう。ここで、電子計算機の話題が平行して出てきます。当時、電子計算機についてはアメリカが開発で先行していました。また、リレー式の計算機も登場します。民間会社と共同して開発したと言っていたので、どこかの研究所をモデルにしているのでしょうか。このリレー式コンピュータを紹介する中で100人のそろばん名人が平行して作業して1週間かかる計算をわずか数分で終わらせてしまいます。このリレー式計算機については、富士通の沼津工場で私も実際に動作しているところを見たことがあります。けたたましい音をたてながら計算を実行してくれました。

 その計算機を大沢無線に作るように通産省は働きかけます。当然、大沢無線ではテレビを開発する代わりに電子計算機を作る話しに簡単にのるわけにはいきません。当時、電子計算機にどんな未来があるかなど、あまり想像できていなかった時代だったからです。

 大沢無線はしばらく検討の期間をおいたあと、通産省に対して答えを返す日になりました。ここで「答えは出なかった」という回答を返します。通産省は日本の未来のためには電子計算機は必要なこと、そして選択して貰えたならば通産省は支援することを大沢無線に告げます。こうして、大沢無線は電子計算機の開発に取り組むことになりました。

 この大沢無線がどこの会社なのかが気になります。ネットで情報を探してみると、沖電気がモデルになっているのではないかという情報がありました。沖電気の歴史を公式サイトで確認してみると、下記のようになっていました。1961年(昭和36年)に最初の電子計算機を発売しているので、もしかするとこのネットの情報は正しいかもしれません。

1958年
* 群馬県高崎市に情報処理機器の工場として高崎工場開設
1961年
* トランジスタ式電子計算機「OKITAC-5090システム」を発売
* 東京都八王子市に半導体工場開設、トランジスタの生産開始
1963年
* 米スペリーランド社と沖ユニバック株式会社設立
1967年
* ICの生産開始
* オンライン端末機「OKIDATAシリーズ」発売
* 預金オンライン端末機「オキセイバ」を富士銀行へ納入
1969年
* ミニコンピュータ「OKITAC-4300」を発売

 また、Wikipediaでも「OKITAC」に関する記事の中で下記の紹介がありました。

沖電気のコンピュータ開発は、1955年、通産省の指導で電波技術協会内に設置された電子計算機調査委員会(後に日本電子工業振興協会に移管された)によるコンピュータの共同開発への参加から始まった。

 やはり通産省が深く関与していたことをうかがわせます。

 テレビについても14インチのテレビについて税率を引き下げる交渉を大蔵省との間でとりつけました。その後、価格も順調に下がっていき、昭和39年には14インチの白黒テレビが6万円ほどになりました。そして、テレビも一般家庭への普及期へと入ります。昭和39年には6万円という金額はかなりの高額だったことだと思います。それでもテレビの受信機が爆発的に普及したというのは、テレビに対する庶民のあこがれがそれだけ強かったことを現しているのだと思います。

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臨機応変?

コメント

  1. えり より:

    パナカラーですんのでPanasonic(松下電器)ですね。
    似たデザインと赤いbodyカラーで白黒だと
    当時は「新日本電気(今のNECホームエレクトロニクス)」が格安のパーソナルテレビを出していました。
    特に新日本のはUHFが搭載され、圧倒的なコストダウン機種で、学生が部屋に置くテレビの先駆けでした。
    (私も持ってましたよ)