NHKテレビ「ブラタモリ 吉祥寺」で新たな発見

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先日、NHKのブラタモリで吉祥寺が特集されていました。ときどき行く街なので、興味深い内容です。

番組が始まると、登場したのは明星学園で社会科の先生をしている高橋珠州彦さんでした。明星学園は吉祥寺駅から見ると井の頭公園の向こう側にある歴史のある私立の学校です。

タモリは人生の中で2回程度しか用事で来たことがありません。「僕はあまり吉祥寺には住みたいと思わないな」と冒頭では言っているのですが、この取材を通してどう印象が変わるのかが気になるところです。

吉祥寺の東口、映画館のオデヲンなどがある方から東急インの方に向かって、その後、マルイの横の七井橋通り、井の頭公園へと進みます。吉祥寺駅の公園口は狭いバス通りがあって人も多いので、混乱するのを避けるために、あえて外したのでしょう。井の頭公園では七井橋の上から井の頭弁財天を見て、弁財天へと向かいました。

この辺では付近から水が湧いてきています。そこでは、かいぼりや外来生物の駆除などを紹介していました。復活したイノカシラフラスコモの紹介もあります。弁天池全域はずいぶん環境が浄化されて、池の底が見えていました。

続いて、黒門の前で江戸の地図を広げます。吉祥寺の周辺は家がありませんでした。吉祥寺周辺の地形では井の頭公園池の周りだけが掘り下げられた場所にあるので、水を高いところに汲み上げることができずに人が住めなかったのです。ここから、なぜ吉祥寺に人が住むようになったのかという話になります。

そして少し歩いて、昔、研究所があったところが現在は井の頭公園として市民に提供されている公園にでました。その先は玉川上水が流れています。この玉川上水こそが、人が住むことができるようになった原動力になりました。神田上水よりもずっとあとにできた玉川上水は井の頭公園よりも高いところを通っているので、周りに水がひけるようになったのです。さらに、明星学園の高校近くの玉川上水沿いを歩きつつ、玉川上水が高いところにあるところを確認していきます。

最初は人が住んでいなかった吉祥寺にある出来事をきっかけにして人が住み始めます。吉祥寺駅に戻ったブラタモリ一行は、明暦の大火で水道橋周辺にあった吉祥寺周辺の住人が焼け出されてしまいました。ここから60軒もの住戸が幕府の斡旋で引っ越してきました。そして名前も吉祥寺にしました。

吉祥寺駅周辺では、中央線に対して道が全部斜めになっています。昔からわかっていたことではあるのですが、なぜ斜めになっているのかと聞かれると答えることができません。吉祥寺周辺の町割りは江戸時代に明暦の大火で焼き出された人が移り住んできた時期になるそうで、基準になったのは五日市街道だったそうです。

たしかに地図を見ると、五日市街道から見ると道が直角に交わっています。先にこの町割りが行われたあとで、明治時代になって無理やり東西に甲武鉄道が鉄道を開通させたことになります。

五日市街道沿いのとても細ながい土地が当時の住人に与えられました。この細長い土地の長辺がどの程度の距離だったのか、一行は歩きながら確認んします。10分ほど歩いてもまだ終わりは見えません。五日市街道から千川上水まで歩いてようやく終わりとなりました。距離は1140メートルもあったそうです。この当時の区割りのままで土地をもしも今でも持っていたら、今では大変な価値になっているのではないかと思います。この辺ではウドがよくとれたそうです。江戸まで四里、この辺が収穫した野菜を持っていく限界の場所だと紹介していました。

続いて、吉祥寺駅の開業にも大きな問題がありました。今の中央線と五日市街道が交差する、もっと西荻窪駅寄りに吉祥寺駅を作りたかったのだそうです。しかし、その地域の人が大きく反対したことにより、そこに駅を作ることができませんでした。しかし、現在の吉祥寺駅の場所は提供してくれるところがあったのです。それは今でもサンロード沿いにある月窓禅寺です。このお寺も明暦の大火の後にここにやってきました。

実は五日市街道から井の頭公園の北端に至るまでの場所が当時お寺に割り当てられました。この土地の一部を吉祥寺駅に提供したのです。そのほか、吉祥寺の繁華街にあるお店の多くは、月窓寺の土地にあることになります。

普段知らずにいたことを、ずいぶん知ることができ、面白い番組でした。

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