山手線の外側を走る第二山手線に関する計画

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先日、テレビを何気なく見ていると、鉄道に詳しい男の子が北海道をはじめとする各地の廃線や廃駅を紹介する番組を放送していました。(1月25日(土)放送の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん)

その番組の中で紹介されていたのは、京王井の頭線の明大前駅手前(上り電車の場合)にある線路の上を横にまたぐ橋脚の形状です。線路が4本並んで敷設できるように設計されています。現時点では井の頭線がこのうちの2本を利用するのみです。

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東京山手急行電鉄

残りの二本は何のためにあるかというと、山手線の周りを取り巻くように建設される予定であった第二山手線のために作られた場所なのだそうです。この計画は1921年に構想されたもので、1926年には東京山手急行電鉄が設立されたということです。1927年には用地買収に向けて動き始めていたようです。

この東京山手急行電鉄は井の頭線を作った会社です。のちの1933年に帝都電鉄と名前を変えています。以前、今の京王電鉄は京王帝都電鉄と名乗っていた時期がありますが、その帝都電鉄ということになります。したがって、井の頭線の明大前駅に遺構が残っていることは十分に理解できます。

経由地は、大井町-雪が谷大塚-自由が丘-駒沢-梅ヶ丘-明大前-中野-新井薬師-江古田-下板橋-板橋-田端-北千住-曳舟-大島付近-南砂町付近-東陽町-洲崎の区間を計画されていました。路線長は約40Kmにも及びます。線路幅は1067㎜で計画されていたということなので、今のJRの在来線と同じ規格です。電力は直流1500ボルトと一般的な計画ですが、地上では架線、トンネルの中では線路横に敷設する第三軌条から集電するというユニークな計画だったことがブログの記事で紹介されていました。

今の環状七号線よりも少し内側、場所によっては外側ということになるでしょうか。しかし、肝心の資金が集まらず、また関東大震災、世界恐慌、第二次世界大戦などの影響で計画は立ち消えになってしまいました。」

Wikipediaを調べてみると、さらに外側の鶴見-等々力-経堂-桜上水-西永福-荻窪-東武練馬-川口-竹ノ塚-金町を結ぶ大東京鉄道も計画されていましたが、こちらは1936年に免許が失効しました。

これらの路線が計画されていた当時は、まだこの地域も今ほどは民家も少なかったはずで、資金さえ集まれば建設できたかもしれません。しかし、今からこれらの区間に鉄道を作ろうとすれば、多くの家が立ち退かなければいけず、建設は現実的ではないでしょう。鉄道の利便性は落ちますが、大深度地下を掘り進んで作る案はあるのかもしれません、。

もしも、これらの鉄道が完成していたら、現在、とても便利になっていたことは間違えありません。しかし、莫大な費用が必要になることから、これから計画されることはまず無いでしょう。

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