中央自動車道はなぜ大月から富士吉田方面が先に開通したか?

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中央自動車道は調布インターチェンジ、国立府中インターチェンジ、八王子インターチェンジなどを通って、大月から富士吉田の方へ向かう路線が先に開通していました。

ずっと昔、河口湖に行ったときに、甲府方面に抜ける本線よりも、河口湖に向かう路線が先にできているのを不思議に思ったことを今でも覚えています。

今となっては大月から中央本線に沿うようにして甲府方面へと向かうほうが中央自動車道の本線なので、なんで富士吉田線が先に開通していたのか、非常に疑問に思っていました。

最近になってある記事で知ったのですが、実は中央道はもともとは甲府の付近はバイパスして、富士吉田から身延、飯田へ真っ直ぐにつなぐ予定だったのだそうです。今のリニアモーターカーの計画路線にも似ています。

ところが1963年に中央自動車道建設推進委員会の第六回総会で突如、路線を北回りの甲府、諏訪を通るルートに変更する方針が明らかになったそうです。南アルプス経由は山岳地帯を貫くことになるため建設費が多くかかります。少しでも節約するための案ということになります。(Wikipediaによれば、甲府、諏訪方面に迂回したほうが、当時の金額で1000億円ほど安く建設できるという記載があります)

このような計画の変更はよそにして、東京から富士吉田の区間はすでに工事が進んでいたので、1969年までに調布インターチェンジから先が完成しました。(1967年に調布と八王子の間は完成しています)

このあと、ユーミンの中央フリーウェイが作られたのでしょう。

もしも、中央自動車道が当初計画のままで完成していたとしたら、今よりもずっと短い距離で東京と名古屋が結ばれたことになるので、ずいぶん中央自動車道の位置づけも変わっていたのではないかと思います。小仏トンネルの増設ももっとやらなくてはいけないほど、交通量が増えていたのではないでしょうか。

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