松原みきさんと「真夜中のドア/STAY WITH ME」

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2017年ごろからでしょうか。1970年代から1980年代に日本で流行した竹内まりやさんや山下達郎さんなどの曲が世界でシティポップスとして大流行していることが日本でも報じられています。この30年から40年前は自分もLPレコードを買って聴いていた時期と重なるので本当に嬉しいことだと思います。

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真夜中のドア 松原みきさん

そんな中で、この1月ごろからは松原みきさんの「真夜中のドア」という曲が流行していることをテレビの情報番組で知りました。作詞は三浦徳子さん、作曲は林哲司さんです。林哲司さんの2009年のインタビュー映像を見る機会があったのですが、その中で松原みきさんについて、「笑うととっても笑顔が素敵な人で、彼女のああいった感じからあのボーカルが出てくるっていうことは、最初会った時は予想もつかなかった。可愛い容姿の彼女がこういうポップスの曲を大人びた歌い方で歌っているというギャップみたいなものが本当に良い形で表現されていて、何か不思議な魅力を持った女性だったと思う」と話されていました。

発売されたのは、1979年、今から41年前にリリースされたシングルレコードで松原みきさんのデビューシングルでもあります。この曲が現在、Spotifyでは1年間で約460万回も再生されたということなので、すごい数だと思います。

今回のヒットを受けて公式にもYouTubeに動画が公開されています。

松原みきさんは当時20歳くらいだったようなのですが、ハスキーボイスでジャズのような雰囲気もあったので、当時は少し大人の曲の感じがしていて、この曲はあまり聞き込んでいなかったのですが、今改めて聞いてみるととても洗練された曲だったのだと改めて感じます。たとえ、今日リリースされたとしても違和感がないのではないでしょうか。

インターネットが本格的に普及し始めたのは、Windows95が発売された1995年からなので、1980年前後は海外の人が日本の良い楽曲を見つけたり紹介しあったりすることは容易なことではありませんでした。

ところがインターネットの普及と音楽コンテンツのサブスクリプションサービスが普及したことで、簡単に全世界の音楽が聴くことができるようになったので、このような楽曲の掘り起こしが盛んになったのでしょう。インドネシアのレイニッチさんというYouTuberの方がこの真夜中のドアを歌ってYouTubeにアップロードしたことが今回の全世界でのヒットにつながったようです。

こちらの動画になります。

たしかにYouTubeで竹内まりやさんのプラスチックラブなどを聴くと関連の動画として松原みきさんの真夜中のドアが表示されることがあったので、このような機能を通じて目に留まったのかもしれません。素敵な曲を世界中の何千万という曲の中からリコマンドしてくれる、いわばAIのような機能で人の暮らしが豊かになるというのは素晴らしいことです。

インターネットを通じて世界のいろいろな人がつながったことで新しく生まれる現象は本当に興味深いものがあります。

松原みきさんはその後、資生堂の1981年のCMで「ニートな午後3時」という曲を提供したり、また作曲家としても活躍されました。

しかし、2000年ごろに「実は私、理由あって音楽を続けられなくなりました」というメールを知人に送り、音楽から遠ざかってしまいました。病気が見つかったためです。その後、実家に戻って、闘病生活を続けたものの、2004年10月7日に亡くなりました。亡くなったことが公表されたのは、それから2か月後のことです。2004年12月14日に報道されました。

 

【2021年4月1日追記】

雨のちスペシャル

なぜかYouTubeで「松原みき」さんの名前で検索すると、NHKみんなのうたで取り上げられた国府田マリ子さんの「雨のちスペシャル」という曲が出てきます。よくよく見てみると、こちらの曲は松原みきさんが作曲をされたことが判ります。(スージー松原というペンネームで提供された楽曲もあるようです)

出だしはちょっと気分が晴れないイントロで始まります。「ぜったいに晴れるって天気予報」、これから晴れるという天気予報のようです。国府田マリ子さんご本人の作詞もとてもユーモラスで面白いです。「にゃんこたち肉球」という歌詞は珍しいのではないでしょうか。結局、曲の最後まで晴れなかったようなのですが、晴れに向かって頑張って行こうという決意が徐々に盛り上げっていきます。

NHKみんなのうたは60周年を迎えて記念番組が各種放送されています。ぜひ、この曲も再放送をしてほしいです。

【2023年6月11日追記】

作曲の林哲司さんの特集番組

真夜中のドアを作曲したのは林哲司さんです。幼少の頃からお兄さんの影響で米国のポップスを聴いて育ちました。1973年にシンガーソングライターとしてデビュー、竹内まりやさんの「SEPTEMBER」、松原みきさんの「真夜中のドア〜Stay With Me」、1980年代になると、上田正樹さんの「悲しい色やね」、杏里の「悲しみが止まらない」など数多くの曲を作曲されました。

そんな林哲司さんをBSフジの「HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説 作曲家・林哲司」という番組で特集しました。今年でデビュー50周年を記念して作られた番組です。当時の興味深いお話しを聞けて面白い番組でした。

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